高雄神社の遺跡である、現高雄忠烈祠に行ってきました。
高雄市街を見下ろす壽山の上にある忠烈祠。
山道には、赤く塗られた楼門があります。これは高雄神社の鳥居が変形して使用されているものです。

楼門をくぐった先、山の上からは、高雄市街が見下ろせます。
山門の裏側。
山門の頂上、忠烈祠へと登る参道階段両脇には、狛犬が残っています。
それぞれ、忠烈祠となった後に「忠旌」「烈楊」と刻まれた台座が設置されました。


観光客向けの掲示には、「金刀比羅神社であった」と書かれております。高雄神社の前身が金刀比羅神社だったのでしょうか?


また、参道下には二基の大東亜戦争完遂記念塔も残されています。
こちらは忠烈祠に向かって左側。
「大東亜戦争完遂祈願」

セメントで埋められた「奉献」の文字。中華民国になった後、多くの石碑や燈篭がこうして埋められたようです。

「佐賀縣高雄葉隠会」の文字。奉納したのは佐賀の人だったのでしょうか。

参道左側にも同じ石碑が建っています。
上部の白い石部分には中華民国の「青天白日の紋章」マークが入っているため、おそらく中華民国統治開始後に付けられたのでしょう。

「昭和十六年十二月八日起工」
日本がアメリカとイギリスに対して宣戦布告し、太平洋戦争(大東亜戦争)が始まった日ですね。
参道を登っていきましょう。
上部には台湾式の山門が三基あります。
山門の根元部分は、古い石造りだったので、もしかするとこの基礎部分は高雄神社時代からあったのでしょうか……?
奥にあるのが忠烈祠の建物です。(この日は時間が遅くすでに門は閉じられた跡)
参道には、真新しい白い石燈籠が並んでいました。

その横に、古い石燈籠が二基残されています。
「高雄市国民学校 / 〇業補習学校 職員生徒児童一同」の文字。

こちらも、「奉献」の文字が埋められ、上部には中華民国マークの刻まれた白い石が載せられています。
こちらの向きは完全に埋められていて読み取れず。
向かって左側の燈篭は、すべての文字が埋められている代わりに、上部の石がありませんでした。

敷地の一部には、古い石組がそのまま残っています。
使われている石もまったく印象が違いますが、神社時代からのものなのでしょうか?

敷地右手奥には、短いスロープと小さな基礎部分、放置された石組が残っています。なんらかの建物があったようです。
打ち捨てられた基礎の中に、燈篭の台座部分のようなものもありました。
おなじく敷地右手奥、古い石組が残っています。
境内左手奥には、三本の街灯が残っています。

左手敷地奥には、地下のある建物基礎部分だけが残されていました。
新しそうな造りだったので、神社時代のものではないのかもしれません。

隙間から覗いた忠烈祠内部。
本殿は完全に取り壊されており、遺構は残っていません。